学生諸君。勉強したまえ。 2015-06-06



■はじめに

学生時代は良かった。今となっては、うるさいくらい輝かしい。

音楽を作る時間もあった、小説を書く時間もあった。

プログラミングを積み上げていく時間もあった、ゲームに一日没頭する時間もあった。

……別に、暇だったことを強調しているのではありません。

他にも、そう、これだ。

勉強が楽しかった。

勉強により、自分の能力が開いていく。これが実感できた。

適応先は無制限の、非常に可能性秘めた能力だ。

しかし残念ながら、そう思わない人が多いのではと懸念している。

勉強はそれほど役には立たないと考えている人のことだ。

やっぱり、そう?

この記事の趣旨は、勉強がどのように役に立つのか説明することだ。

ただし、私が真剣に取り組んだ、国語、数学、社会、理科、英語に限定する。

音楽や美術や体育には触れないということだ。

何しろよくわからないので触れようがない。

今強いて触れるなら、

「うん、あれで自分の趣味が拡張できて良いよね」

この程度だ。

さて。

では勉強の効果について考えよう。



■効果

勉強の効果は、一言で言って、理解力が高まることだ。

特筆すべきは、実は、理解する対象を制限していないこと。

理解する対象のレベル差は設けられているが、分野は制限していない。
(※レベル差:高い低いよりは、細かい荒い、を指す)

どういうことか、科目別に説明していこう。



■数学

数学は、もっとも硬い学問だ。

数学から導き出される結論は、覆ることが無い。

理解という言葉では生ぬるいとさえ感じてしまうほどの、威力だ。

ただ欠点もある。

数学の対象は、いつも、綺麗に理解(定義)されていなくてはならない。

そもそもあいまいな世界ではない。

結論はこうだ。

数学を勉強すると、【きっちり理解された対象】がどういう性質を持つのか、

どう振舞うのか、それらを【完全に把握】する能力を高めることができる。

対象を数学に限定していないところがポイントだ。

仮にあなたが身の回りのものをすべてきっちり理解したとすると、

あなたは一日後に一番幸福になる活動を選択できるようになる。

それは数学だ。

「数学が何の役に立つのか」と質問する人は、対象を“数学”に限定するミスを犯している。



■理科

理科はある意味、数学に一歩劣る。

理科から導き出される結論は、覆りにくい。覆る可能性があることに注意だ。

ただ利点もある。

理科の対象は、綺麗に理解(定義)されている必要は無い。

実験可能であればよい。性質が不明なものでも構わない。

実験し大体○○であれば「大体○○」と宣言してよい。
(もちろんすでに誰かが実験済みであれば、その結果を使えばよい)

そんなあいまいな学問なのだ。

※理科の教科書や論文は暗に「X回やったらY回こうなるので、こう」という
 結論であふれる。仮にX=Yであったとしても、X+1回目の実験内容を
 確定するものではない。

結論はこうだ。

理科を勉強すると、【実験可能な対象】がどういう性質を持つのか、

どう振舞うのか、それらを【ほぼ把握】する能力を高めることができる。

数学と比較すると、対象は増えるが、到達する情報正確さはやはり落ちる。



■社会

社会はある意味、理科に一歩劣る。

社会の対象は直接は探られない。

探られるのは決まって、その対象の付随情報である。

付随情報から推測し、対象を把握する。

別の言い方をすると、社会の対象は実験対象である必要も無い。

付随情報さえ見えれば、扱うことが可能である。

例を挙げよう。

地理ならばその場所情報が付随情報にあたる。

川が近くにあるからこの場所はこういう特性だと言える。

歴史ならば、とある時間間隔における過去の振る舞いが付随情報にあたる。

過去に顧客を裏切った会社は、今度もあやしいと言える。

結論はこうだ。

社会を勉強すると、【対象の付随情報に基づき、対象】がどういう性質を持つのか、

どう振舞うのか、それらを【大体把握】する能力を高めることができる。

理科と比較すると、対象は増えるが、到達する情報正確さは相当落ちる。

とはいえこれも把握である。



■国語

国語はある意味、社会に一歩劣る。

社会の対象の多くは、人が関連する。

ただそれは複数人だ。複数人集まることで、付随情報から推測しうる対象となる。

規則性が現れる、あるいは再現性が高い(確認できる)ためだ。

言い方を変えると、一人の活動を対象とする学問としては弱い。

規則性が現れにくい、あるいは再現性が低い(確認できない)ためだ。

そのくらい、一人の人というのはやっかいである。

ならばもう、その一人の言動行動を注意深く観察するしかない。

その人はどういう背景で、その選択を選ぶのだろうか?

その人はどういう背景で、それを主張するのだろうか?

その人はどういう背景で、笑うのだろうか?

言動に基づいてのこの把握力、これを養うのが小説読み解きである。

では説明文や論文は違うのか? いや、違わない。

その場合の対象となる個人は、その作者だ。
(もちろんこの観点も小説へ適用できる)

仮にあなたが数学の論文を見ていたとしても、一義的にはそれは数学ではない。

国語だ。

論文作者の性質を探ろうとしているのだ。

何を主張するのか? なぜ主張するのか? を。

さて、結論はこうだ。

国語を勉強すると、【個人】がどういう性質を持つのか、

どう振舞うのか、それらを【まあ大体?把握】する能力を高めることができる。

社会と比較すると、対象はある意味増えるが、到達する情報正確さは笑えるほど落ちる。

想像よりもずっと。

とはいえこれも把握である。



■英語

もう説明の必要もないところまで来てしまったと感じている。

個人を知ろうにも、その言語がわからないとどうしようもないでしょう?

だから英語だ。

実は古典漢文も英語に近い。

以前は古典も漢文も、意味は万人に対しわかりやすいものであった。

単純に、過去の人の優れた考えを知るために効果的だった。
(※優れた:優れていなければすぐに廃れるよね、というだけの意味)

今の中学校高校では、そもそも何を書いているかわからないね、から始まる学問になってしまった。

残念なことである。

余力のある人はぜひ、古典漢文を【英語】ではなく【国語】と扱っていただきたい。

そして英語も、【国語】と扱っていただきたい。

どの作者も、それを願っている。



■まとめ

学生諸君。

あなたが将来どの道に進むか、誰もわからない。

ただ、どこかの道へは進むだろう。

障害も現れるだろう。

機会も現れるだろう。

あなたはそれらを理解しなくてはならない。

でなくては障害を避けることもできないし、機会をつかむ事もできない。

どうやって理解する?

あなたはその対象に応じ、以下から適切なものを選ぶことができる。

数学、理科、社会、国語、英語。


対象をよく知っているなら、数学を選びなさい。

覆りようがない確定した情報があなたを待っている。


対象が実験可能ならば、理科を選びなさい。

良くも悪くも、実験どおりの情報があなたを待っている。


対象の付随情報がわかるのなら、社会を選びなさい。

それと類似のものの情報があなたを待っている。


対象である個人と間接的にでも接することができるのなら、国語を選びなさい。

その個人の情報が具体的な形となって、あなたを待っている。


対象である個人が外人なら英語を選びなさい。

今何を書いているんだ私はと思った。



■最後に

対象を理解すること。

これって、すっごく大切なことでしょう?

学ぶ機会は今しかないんだ。

だからあなたは、今、その能力を磨くのだ。

勉強したまえ。



■おまけ追記 2015/06/29

ちなみに私が学生だったころは、

「どんな時代にタイムスリップしたとしても、活躍できるように」

そんなモチベーションで勉強していました。

半分だけ嘘です。半分だけ。

そしてもう半分がエネルギーになったのは確かです。

勉強の意義について長々とした説明が面倒なときは、

「タイムスリップしたら、ヒーローになれるぜ?」

その説明でも良い気がします。

やる気が出る人がいるのは私で実証済み。

そして彼が、将来タイムマシンを発明しないとは誰も断言できない。

僕もね。



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ぼく理系なので文系のことよくわからないです^^